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樋の沢・大井地区 22.5.14(その2)

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<大井地区続き>  聖天神社の南側の農地などは、大井遺跡として、埋蔵文化財の包蔵地に指定されており、Kさんのお話では、昔は、土器片などがゴロゴロしていて、すぐに袋に1、2杯は集まったそうです。 ※ 大井遺跡  いばらきデジマップ・大井遺跡 所在地     大井594外 種類      集落跡 現況      畑,山林,墓地 時代・時期  旧石・古墳・奈平・中世・近世  聖天神社の前には、大井農村集落センターがあります。 この敷地の中に塚状に盛られたところがあり、そこには、つくば市で3箇所ある大日様の一つがひっそりと祀られていました。元は、集落センターの西北の端に祀られていたものが、移されたそうです。 鼻の大きな大日様 奥まったところで、しかも直接見えないところにあるので、知る人ぞ知るということなのでしょう。そのほかに、五輪塔と思われる石なども集められていました。塚状の上にも庚申様が祀られていました。 盛土の上野庚申様 大井の沿革によれば、昭和46年に大井研修センターの建築のために、それまであった「お小屋」と呼ばれる建物を取り壊し、さらにその西隣にあった大日塚などを現在の位置に再現したとのことです。 従来の大日塚の前には、百万遍とか十九夜などの石仏が並べられ、側には、庚申塚もあったそうです。大日様は、塚の中に室を設けて、石仏を祀り、菰藁を編んで覆い、外部から入れないようにしていたそうです。 大日様が祀られたのは戦国時代とも推定されており、庚申塚については、1740(元文5年)庚申の年に大日塚の側に小さな塚が作られたといわれています。  集落センターから道なりに南にしばらく行くと、八幡神社があり、近くには、お地蔵様なども祀られていました。   八幡神社とお地蔵様 八幡神社のある塚も古墳だそうですが、道路の東側の昔の小字「権現堂」で発掘された横穴式の古墳から掘り出された剣を、お宮を作って八幡宮として祀ったものだそうです。 残念ながら、この剣は、現在、行方不明だそうです。 「権現堂」の古墳は、偶然発見されたもので、縦70cm、横60cm、厚さ10cm位の石が10個ほど石棺のように箱形に重ねられており、その中に遺体に添えるような形で剣があったといいます。 この平石は、香取神社の土台に使...

樋の沢・大井地区 22.5.14(その1)

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 第1回目は、樋の沢・大井地区です。 10:15 高野台3丁目(高野台公園付近)からスタート  南東へしばらく行くと鬱蒼とした林に突き当たります。後で調べると清遊亭となっていましたが、ネットではヒットせず、どのような施設なのかは不明。  さらに、東方向へ行き、6号バイパスを横切って、少し北上し、右折すると三日月神社がありました。 ※ 三日月神社(つくば市市之台107) 江戸時代の初期、1611(慶長16)年、三日月不動明王を祀り、村内安泰と五穀豊穣を祈願。1703(元禄16)年、社殿を建立。 1840(天保11)年、近くで発生した山火事で類焼したが、翌1841(天保12)年、再建。 山火事で類焼したが、翌1841(天保12)年、再建。 社殿の老朽化に伴い、1977(昭和52)年に改築された。 (以上  つくば新聞・つくば市の神社 から) 神社台帳(茨城県神社庁)には未登録  神社の近くには、丸太の鳥居が建てられていて、道祖神さまが祀られていました。    昔ながらの6mほどの道(茨城県道202号 館野牛久線)を牛久方面に行くと、左手に立派な家がありましたが、月読神社の神主さんのお住まい(社務所)だそうです。 ※ 月読神社(つくば市樋の沢208) 945(天慶8)年の創建と伝えられている。平将門の護持仏であった勢至菩薩が本尊。 別名「三夜様」と呼ばれ、農業・開運の神として広く人々の信仰を集めてきた。 現在の社殿は、1628(寛永5)年に建立された。 (以上  つくば新聞・つくば市の神社 から)   月読神社 拝殿と参道 ※ 筒粥(つつがい)神事 神職による来年の作物の吉凶占い 2010年は10月17日に占いが行われ、結果は、三夜祭、正月の縁日に披露されるとのこと 「 つくば周辺伝統行事カレンダー 」から 大釜で粥を煮て、藁(葦が一般的なようです)をさして、その筒の中に米粒がどのくらい入っているかで、来年の作物を占うとのことで、その大釜を置いたといわれる石組みが残っていました。 植栽になっており、2箇所あるうちの拝殿に向かって右側 調べてみると、諏訪大社(長野)のほか、関東甲信の神社が多いようです。 対象とする作物の数で、入れる葦などの本数が異なっているようで、諏訪...