大井再訪 22.6.5(土)

 前回の樋の沢・大井探訪では廻りきれなかった箇所を訪れました。
 今回は、つくバスで、集落センターまで行き、スタートです。
 最初は、香取神社ですが、館野牛久線を北に少し戻り、南東に入っていくと、香取神社は畑の中にポツンと建っていました。このあたりは、下大井遺跡の区域であり、歩くと土器片があちこちに落ちており、さらに、香取神社の位置は大井古墳群の北端にあたるとされていますが、正確な位置は不明です(参考 埼群古墳館)。
※ 香取神社(以下、茎崎町史P316から)
  • 祭神は経津主命(ふつぬしのみこと)
  • 配祀 大山咋命(おおやまぐいのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、菅原道真公
  • 延元三年(1336)十月、下総香取神宮の分霊を遷祀したと伝えられる。
  • 明治六年(1873)九月、地区内の日枝、厳島、北野の各神社を合併
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香取神社の鳥居と鳥居脇の道祖神さま
 道祖神は、道路側に背を向け、神社側を向いていましたが、なにか意味があるのでしょうか?また、石棺の一部と思われる石の上にのっていました。
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拝殿と境内にある三つの祠
 Kさんが平成8年に訪問したのちに、建て替えられており、だいぶ配置が変わっていました。拝殿がのっていた石は、いまは、脇の祠の土台となっていますが、ここにあったとされる古墳の石棺の石ではなく、『字「木口」(注:大井五十塚古墳群のあたり)に沢山の古墳があるが、伝承によれば、其の処に一部分露出していた平石を掘り出して神社まで運び、これを並べて土台としたと云う』(大井沿革P9)とされています。
 香取神社の次は、畑の中を歩いて、古くからあるという共同墓地やゴロゴロしているという土器片などを見に行きました。香取神社を少し下がった東側からみると、古墳のイメージが残っているでしょうか?
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神社の境内は木が覆っていました。



 土器片は、下大井のあたりは見かけられましたが、上大井のほうへ行くと、すっかり耕されていて、あまり見かけられませんでした。何箇所かある共同墓地では、様々な石造物が見られました。
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観音様やお地蔵様を浮き彫りにした石碑など
 この後、昔、石棺の中から剣が発見されたとする字「権現堂」あたりを見てみましたが、すでに民家となっており、残念ながら、痕跡は見つかりませんでした。
 まだまだ畑の広がっている小野川の西側の台地でどのような暮らしがおこなわれていたかに想いを馳せながら、今日はこれまで。
(参考)
茎崎町史 茎崎町史編纂委員会 H6.3.15大井沿革今昔語り草 岡野春雄著 1983年(s58)4月


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